河野一郎の思い出

河野一郎さんの思い出(6月11日)

衆院議長の河野洋平氏が8日に亡くなった。新聞・テレビが大きく報じている。神奈川県出身で89歳。くしくも、私も同年生である。

河野洋平氏の訃報に接し、お父様の河野一郎のことを思い出した。そのよもやま話である。

高校生のころ(1956年)、平和条約もない日本とソ連(現ロシア)の間で漁業問題が持ち上がった。河野一郎は鳩山内閣の農林大臣として日・ソ漁業交渉の全権大使となりモスクワに行った。

だが、ソ連の交渉相手のイシコフ漁業相は交渉に真剣ではない。河野一郎は、腹をくくって一人でクレムリンに乗り込みグルガーニン首相と直談判した。首相の一声で日ソ漁業条約がまとまった。当時の新聞は「日本外交の大勝利」と報じた。「大勝利」の文字に青春の心が躍った。

その当時、敗戦国の日本が河野一郎の大胆な外交交渉でソ連を説き伏せた。日本はソ連に対して誇りを取り戻した。青春の思い出です。